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  • 2024.02.01

    【開催報告】編文研イベント「生前の遺稿」

2023年12月3日(日)、本学7号館007教室にて、国際編集文献学研究センター主催によるイベント「生前の遺稿」を開催しました。作家自らが生前に整理し、アーカイブに寄贈することで残された資料、すなわち「生前の遺稿」(Nachlass zu Lebzeiten)をめぐって、日本人研究者によるシンポジウム、そして、現代ドイツを代表する詩人ドゥルス?グリューンバイン氏による講演を実施しました。当日は、50 名近くの方々にご参加いただき、シンポジウム?講演会ともに、活発な質疑応答が行われ、有意義かつ実りあるものとしてイベントは成功裏に終了しました。

イベントの開始にあたって、明星聖子先生(本学文芸学部教授?本センターセンター長)よりご挨拶いただき、本センターの目的についてご説明いただきました。また、下記の通り、本イベントの趣旨を述べられました。「『遺稿』(Nachlass)は、もともと作家が死後に遺したものを指す言葉です。しかし、近年では、生きている間に自分の原稿を寄贈して遺そうとする作家たちが少なからずいます。あらかじめ遺されることが決められた『遺稿』—これをどう呼び、いかに考えるべきか。ドイツ語圏ではすでに、Nachlassと区別して、Vorlassという新しい言葉が用いられはじめています。現代の作家においても極めてアクチュアルなこの問題を、日本において議論するための土台作りの試みとして企画されたのが、本イベントです」。このような問題意識から出発した本イベントでは、作家が生前に寄贈した資料、そして資料寄贈に関する作家の意志をめぐる問題について、研究者と作家本人の両面から議論が交わされました。

まず、シンポジウムでは、北島玲子先生(上智大学名誉教授?本センター特別客員研究員)、田尻芳樹先生(東京大学教授?本センター特別客員研究員)、阿部賢一先生(東京大学准教授)をお招きして、それぞれエリアス?カネッティ、カズオ?イシグロ、大江健三郎が遺した「生前の遺稿」についてそれぞれお話しいただきました。北島先生には、カネッティが生前チューリヒ中央図書館に寄贈した遺稿について、その重要な構成要素である断想を中心に話していただき、カネッティが生前の遺稿という形で遺稿をコントロールした根底には、作品の生き残りへの願望があったこと、それがカネッティの権力論における生き残りの問題とも関連することを報告いただきました。続いて田尻先生には、イシグロがアメリカテキサス州のハリー?ランサム?センターに売却した草稿群の目録や、彼の執筆過程についてご説明いただいた後、当該センター所収の『わたしを離さないで』の構想ノートを読むことで明らかになる作品のテーマを論じていただきました。阿部先生には、大江健三郎文庫が今年9月に開設されるまでの経緯や、大江によるアーカイブや全集、作品に関する発言?思想を、作家本人が傾倒していたミラン?クンデラを引き合いにしつつ確認した後、大江の創作過程について、当該文庫所収の手書き原稿を見ながらご報告いただきました。いずれの事例においても、何をどこに預けたのか、という事実レベルの確認から出発し、遺された資料が開く新たな作家、作品理解の可能性を提示していただきました。

その後の質疑応答では、作家が生前に遺贈した、作品テクストとは一見関係のない資料の存在や、それらを作品解釈との関連においてどのように扱うか、といった具体的なものから、作家が生前に遺贈した資料とそうではない資料との間にはいかなる違いがあるのか、作家が遺した資料を探し求め、読むわれわれは何者であるのかといった、シンポジウム全体のテーマ、ひいては文学研究一般にかかわる問題まで、幅広い質問が寄せられ、有意義な議論が交わされました。


続く講演会では、グリューンバイン氏にご自身の詩?Hinter den M?rkten des Trajan“(「トラヤヌス帝市場の裏にて」、縄田雄二編訳『詩と記憶—ドゥルス?グリューンバイン詩文集』所収)を朗読していただいた後、?In der Gewalt der Archive”(「アーカイブの掌中で」) と題して、アーカイブをめぐる思索についてご講演をしていただきました(通訳:縄田雄二先生(中央大学教授))。氏は、アーカイブを利用するという経験、そして、自らの資料をアーカイブに預けるという経験から出発し、アーカイブの意義、本質は何であるか、ニーチェやベンヤミン、ゲーテらの言葉を引きながら思考します。そして、とりわけ国家による振興を受けているアーカイブは、資料が永遠に残されるという意味での文化的なユートピアなのではなく、むしろ絶えず資料の抹殺に遭う可能性を孕んだ場所であることを見抜きます。国家体制や国際関係が絶えず変容するなかでアーカイブが燃えてきた過去から現在に至るまでの事例を鑑みながら、アーカイブの本質がそうした破局可能性、そしてそこで保存されている資料があくまで部分的なものに留まるということにアーカイブの本質を認めます。自らの資料が既にアーカイブに収められつつある一方で、「記憶」をテーマとした詩作が現在も続く中、それらの資料のうち何が、どのように預けられ、アーカイブをめぐる思考はどう展開していくのか—これらが現在進行形の問いであることが示され、講演が締めくくられました。以上のように本講演会は、アーカイブを通じて資料を未来へ託すという行為をめぐる問題を、作家本人の口から直接お伺いする、貴重なイベントとなりました。

その後の質疑応答では、国家以外の手によるアーカイブの存在についてどう考えるかといったアーカイブのあり方をめぐるものから、現在言論統制や検閲の怖れのある国家で活動している作家は自らの資料をどこに預けるべきかといった作家の活動に関わる問題まで、幅広い内容の質問が寄せられました。いずれの質問にもグリューンバイン氏からの、出身である東ドイツでの経験や他国の作家との交流に基づく、具体的かつ熱のこもった応答がなされ、フロアと講演者の間で活発な議論が交わされました。

国際編集文献学研究センターでは、今後も定期的に編集文献学にかかわるイベントを開催いたします。その際には、改めて本学サイトでお知らせしますので、ご興味?ご関心のある方は、ぜひご参加ください。

なお、今回のグリューンバイン氏来日にあたっては、ゲーテ?インスティトゥート東京および日本独文学会西日本支部との共催で下記のイベントを実施いたしました。

2023年12月1日(金)ゲーテ?インスティトゥート東京
朗読会「ヨーロッパをめぐる戦争 — 詩人ドゥルス?グリューンバインの朗読&トーク」

2023年12月9日(土)日本独文学会西日本支部(福岡大学七隈キャンパス)
ドゥルス?グリューンバイン朗読講演会 ?Jenseits der Literatur. Oxford Lectures“